メルカテッロとつづきの話

メルカテッロの暮らし」の続きの話です。

井口先生は私の街作りの先生で、私も学生時代2~3週間、メルカテッロでお世話になりました。メルカテッロに滞在しながら、都市のデザインを学ぶため、実測しまくるという内容のゼミで、朝早くから、目ぼしい街へ行っては、実測。(ローマ、アレッツォ、ウルビーノ、ペルージャ、アッシジ、シエナ、サンジニミアーノ、フィレンツェなど)夕方帰って、先生の改修されたご自宅にてみんなで晩御飯とワイン。(生ハムメロンが絶品!)デザートは近所のジェラート屋さん。そのあとは眠たい人は寝る、まだまだ遊べる人は広場前のバールへ。もしくは、ペンショーネ(ペンション)の屋上で満天の星空を見ながら、恋の話など。街のおじいさん方は朝から道路に椅子を出して、ご近所さんと一日中おしゃべりをしていて、私たち日本人が歩いているとめずらしいのか遠慮なくじろじろ見られるので、「ボンジョールノ!」と挨拶をしていました。とそんな生活だったと思います。ほとんど観光地化されていなくて、お話の中に出てくるような町に、本当に生活があって、あまりに良かったので、グーグルマップで時々行っていた(つもり)ところの本(メルカテッロの暮らし)発刊のお知らせだったので、とても楽しく読みました。

イタリアはどの町も本当にきれいでしたが、バチカン市国のサンピエトロ教会を見に行った時の感動は今でも忘れられません。

早起きして、教会まで行くと、日曜日のミサをしていて、修道女のおばあちゃんに朝の挨拶。ミサを横目に教会の塔を登りきると… 

ラジオからエルトン・ジョンの「ユアソング」が流れ始め、眼下に朝日で目覚めかけた町が広がりました。 

楽の効果もあったとは思いますが、その時初めて、安らぎを超えた感動を人間が作った建築というもので感じたと思います。

 

ようやくジェラートくらいは一人で買えるようになった頃、ミラノから国境を超えフランスへ。挨拶は「ボンジュール!」に変わり、まずはマントン。当時、雑誌社でアルバイトをしていて、たまたま誌面で見つけたコルビジェ特集の情報を元にコルビジェの散歩道へ。コルビジェのお墓にも墓参り。海を見下ろせる良いところにありました。近くの古城がとても良くて、海からは少し離れているのですが、城にいると海しかみえず、海を切り取るピクチャーウィンドウがあったりと、海と一体感のある構成でした。日本で見るコンクリートは少し濡れたような色で冷たい印象だったのですが地中海で見る石灰岩の岸壁は温かく柔らかい線で多肉植物と絡み合い、原料はこれと同じと思うと打ちはなしのイメージが変わりました。

そのあとニース、エズ、ディーニュ、マルセイユ、、ジュネーブ、パリを堪能して帰国したのでした。とにかく人生ベスト3に入る楽しい旅でした。 

 

 そして帰国後‥建築設計事務所に就職が決まり、晴れてコルビジェのひ孫弟子になることになったのです!(コルビジェの弟子の前川國男の弟子の横内敏人(先生)の弟子ということで。)墓参りのご利益ですかね。色んな縁が絡まるものだと思い込んでます。自分のことですいません。